Roster

投手
49 ジェレミー・アカード
34 A.J バーネット
39 グスタボ・チャシン
37 スコット・ダウンズ
54 ジェイソン・フレイザー
32 ロイ・ハラデイ
44 ケイシー・ジャンセン
28 ショーン・マーカム
18 大家友和
7 ジョシュ・タワーズ
36 ジェイミー・バーミリーア
31 ヴィクター・ザンブラーノ

捕手
47 ジェイソン・フィリップス
9 グレッグ・ゾーン

内野手
11 ロイス・クレイトン
25 トロイ・グロース
2 アーロン・ヒル
6 ジョン・マクドナルド
11 ライル・オーバーベイ
68 ジェイソン・スミス

外野手
15 アレックス・リオス
10 バーノン・ウェルズ

指名打者
26 アダム・リンド
24 マット・ステアーズ
35 フランク・トーマス


故障中
22 ブランドン・リーグ
52 B.J ライアン
3 リード・ジョンソン

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DATE: CATEGORY:ジェイズの選手
A.J バーネット(A.J Burnett)
1977年1月3日 アーカンソー州リトルロック出身

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1995年、メッツからドラフト8位で入団。
1997年に緊急財政下のマーリンズへ放出。

1999年にマーリンズに昇格し、100マイル前後の速球を武器に4勝をマーク。ところが2000年は故障もあって3勝7敗。

しかし2001年は開幕2試合目にしてノーヒット・ノーランを達成!
9四球を出す荒れ球ではあったが強烈な印象を残した。
結局この年は11勝12敗で初の2ケタ勝利に到達。

2002年は開幕からマーリンズのエースとして健闘したが、8月から9月にかけて肘の痛みで離脱。それでも12勝9敗、防御率3.30と上出来な成績を残した。三振はほぼイニング毎奪った。

ところが2003年は4試合に登板しただけでトミー・ジョン手術を受け、シーズン絶望に。この間、チームは世界一になったが、もちろんバーネットは喜べたものではなかった。

2004年、6月に復帰して7勝6敗に100マイルの速球は無事復活。ところがまた9月を怪我で棒に振った。

こうして怪我の相次いでいたバーネットだったが、2005年は無事開幕から順調にローテーションをこなしていく。5月31日にバーネットとなると話題の上る104マイルを記録。ところが援護に恵まれず、チームもプレーオフ争いから失速すると最終登板直前に首脳陣批判をして解雇されてしまった。

2005年オフにはブルージェイズと5年5500万ドルの大型契約を結ぶ。
しかしその年のオープン戦、肘を痛めて降板してケチのつき初めが始まった。4月の中旬に開幕を迎えるも2試合目で再び肘を痛めて15DL入り。
そして直後に60日に延長される始末。

ようやく6月21日のブレーブス戦で復帰。そして次のナショナルズ戦では本拠地初登板で初完封初勝利。ところがその後はしばらく球威が戻りきらなかった影響で打ち込まれてしまった。契約は大失敗と見られたが、実践を経ていくごとに調子を取り戻して最終戦で2ケタ勝利に到達。
しかし、初めて被安打数がイニング数を上回ったことからも分かるように、やっぱり不完全燃焼のシーズンだった。

怪我が無ければ楽に15勝は計算できる投手。来年はレベルがさらに高くなったAL東地区で真価が問われることになる。
また、バーネットの課題は精神面。ホームランを浴びてすぐ球が荒れたり、ランナーがいる場面でヒットを打たれることが多く、被打率はトップクラスの割には防御率が悪い。これを是非克服してほしい。
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DATE: CATEGORY:ジェイズの選手
ロイ・ハラデイ(Roy Halladay)
1977年5月14日生まれ 米コロラド州デンバー出身 

Doc


ニックネームは"Doc"。メジャー最強のピッチャー。サンタナファンは・・・お断り(笑)
1995年西アーバダ高校から一巡目指名を受けて、プロ生活がスタート。

1998年にメジャー初昇格、2試合目に9回2死までノーヒッターの快挙達成。
1999年も8勝7敗で、2000年は一層の飛躍を期待されるが、精神的な問題も抱え67.2回を投げて80失点、防御率は10.74とある程度イニングをかじった投手にしてはまれに見る最悪の数字となった。

2001年はプロ入りしたとき初めてプレーしたA級のダニーディンまで戻ってしまった。ここでカウンセラーを受けたり、投球フォームの改善に取り組み、オールスター前には無事トロントに戻ってきた。後半戦は5勝3敗だったが、防御率は3.15、与四球率は激減し、チームがようやく待ち望んでいたエース"Doc"が誕生した。

そして迎えた2002年、なんと19勝を上げ、オールスターにも選ばれ、崩壊した先発陣の中で一人大活躍した。
2003年は4月に勝ち星を上げられず0勝2敗と不調だったが、そこから8月上旬にかけて15連勝と驚異的なペースで勝ち続け、チームの優勝争いに貢献。9月の試合はすべて完投するタフネスぶりで、22勝、266イニングを投げて文句なしのサイ・ヤング賞に輝いた。

ところが、2004年は怪我で8勝。
2005年も前半戦で12勝を上げオールスターの先発が決まっていたものの、ケビン・メンチの打球を足に受け、不幸にもシーズン終了。

2006年も崩壊しかけていた先発陣の中でひたすら勝ち続け、8月20日に16勝目をマークし、最多勝が見えていたが、その後は援護にまったく恵まれず、9月中旬のヤンキース戦で右腕に違和感を感じて降板、ここでシーズンが終了した。

現在おそらくアメリカン・リーグで最強の投手。
現在通算95勝で、最悪でも5月中には通算100勝を見れそうだ。
来年は30歳になる。その節目として4年ぶりの20勝を達成してほしい。
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アーロン・ヒル(Aaron Hill)
1982年3月21日 カリフォルニア州ビサリア出身

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指名は2003年、ルイジアナ州立大学から。当初は遊撃手としての指名。
A級の上と下のクラスでプレーし、打率3割以上をマーク。
2004年はAA級のニューハンプシャーでプレーし、打率.280。フューチャース・ゲームのMVPにも選ばれた。

翌2005年、AAA級のシラキュースで開幕し、打率3割以上をキープし続け、正3塁手のコスキーの骨折もあって5月20日にメジャーに昇格。
昇格当初はチャンスにタイムリーを連発、連日大活躍で7月頭の時点では打率は.354。このまま打てば新人王の可能性もあったが、オールスター以降は急失速し、打率は.274で終わった。

2006年、オーランド・ハドソンの移籍によってセカンドにコンバートされ、シーズンがスタート。ところが4月は大不振で2割にも打率が届かず。マイナー落ちの危機にもあったが、5月に入るとすぐに復調。7月中旬には3割に到達。最終的に.291と平均以上の打率となった。

守備では、大親友アダムスの不振によって再コンバートされた遊撃ではエラーを連発したが、セカンドでは好守を披露。現在MLBの2塁手の中でも守備のいい部類に入るだろう。長打力もまだ伸びる余地があり(8月まで2本塁打も9月だけで4本塁打)、内角球のさばきもうまい。来年は3割12本を目標にがんばってほしい。
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B.J ライアン(B.J Ryan)
1975年12月28日 ルイジアナ州ボッスィアーシティー出身

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ドラフトを受けたのはレッズからで1998年17順目。
そして1999年にはもうデビュー。17順目にしては驚異的な速さ。
しかしレッズでは1試合のみの登板ですぐにオリオールズに移籍。

しかし制球難という問題を抱えたため、左殺しとしてキャリアをスタート。奪三振率は高かったが防御率はさほど良くなく、ほとんど目立たなかった。

しかし、2003年に防御率3.40を記録し2004年にセットアッパーになると、一気に才能が開花。コーナーへの速球が決まるようになり制球難が解決。得意のスライダーも併用し、2004年には87回で122の三振を奪い、その年の終盤にクローザーに昇格した。

翌05年はクローザーに昇格し、一時2イニングに一つ以上与えていたフォアボールは3イニング以上に一つと格段に成長し、41のセーブ機会で36セーブをマークし、球界でも屈指のクローザーとなった。さらに左であるため、価値はさらに上昇した。

そしてオフにはFAになり、5年4700万ドルの破格の条件でブルージェイズと契約した。
そして期待通りに06年の前半戦は防御率0点台、セーブ失敗は2回でパペルボンと同じペースでセーブを稼ぐ。
7月に一時不振に陥ったこともあったが、最終的にはリーグ3位の38セーブ、防御率は驚異の1.37。8回一死から登板してその後のアウト5つをすべて三振でしめたこともあった。大型契約は、現時点では大成功。

来年以降も、ブルージェイズの9回のマウンドを守る守護神である。
いつかはセーブ王、サイ・ヤング賞を取ってくれるかもしれない。

ちなみに本名はRobert Victor Ryanであり、B.JはBo Juniorの略である。(なんで彼がBo Juniorなのかわからないのでわかる人は情報くださいww)
DATE: CATEGORY:ジェイズの選手
アダム・リンド(Adam Lind)
1983年7月17日 米国インディアナ州アンダーソン出身

Lind


来年は新人王候補にも挙げられているリンド。

ドラフトは2004年、2順目。
その年のA級で早速.312をマークし、2005年ではA級の上位レベルで.313を記録。その年のはじめには球団No.1プロスペクトになっていた。

2006年、AA級ニューハンプシャーでも3割以上を打ち、7月にはAAA級のシラキュースに昇格。ここでもエンジン全開で、一ヶ月で4割近い打率を記録。さらに5本塁打も打ち、ニューハンプシャーとあわせてマイナーのシーズン終了時点で24本塁打を放ち、パワーも証明。
そしてドラフトされて2年弱、9月1日をもってメジャー昇格。
昇格するや否や出場3試合目から4試合連続でマルチヒットの大活躍。
その後はやや失速したが、最後の試合で、同点から決勝HRを放ち、来期にさらに期待を持たせた。

欠点はやや四球が少なく、三振が多いことと、守備が芳しくないこと。
四球はMLBの一ヶ月で5つしか選んでおらず、三振は06年にAA級のニューハンプシャーで348打数で87三振。三振が突出して多いのはこの期間だけだったが、来期以降、この粗っぽさがどう影響するか。

守備も、実際に見たことはあまりないがかなり下手らしく、DHでの出場がかなり多かった。現実にはレフトを守ることになるが、この評判だと左翼が穴になるかもしれない。

とはいえ、総合的な打撃センスはポール・モリターと比べられているほど優秀で、07年は3割を突破しての新人王が期待される。
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バーノン・ウェルズ(Vernon Wells)
1978年12月8日 米国ルイジアナ州シュリーブポート生まれ

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1997年に全米オールスター高校生の外野手に選出され、全体4位指名でブルージェイズに入団。

3つのレベルで.330以上をキープした99年、20歳で早くもメジャーに昇格。この年は88試合で.261と平凡だったが、周囲の期待は高かった。
翌2000年はブルージェイズが驚異的なペースでHRを放ち続けたいたため、シーズンのほとんどでAAA級で過ごしたが、16本塁打、.243とかなり平凡な成績に終わった。

翌2001年も主にシラキュースで過ごしたが、12本塁打と長打力が低下し、打率も.281。しかしたびたび昇格したメジャーでは、.313を残した。

2002年、首脳陣はウェルズをセンターのレギュラーにする選択をする。
しかし、最初の2ヶ月は不振。打率は2割前半に低迷した。ところが、6月からエンジン全開。7月ころから登場したジョシュ・フェルプス、この年新人王のエリック・ヒンスキーと共に飛躍し、23本塁打、100打点。100打点目は僕の観戦した試合で本塁打で達成した。また、強肩、守備範囲の広さを見せ付けた。

2003年は最高の年になった。33本塁打、117打点。シーズン最多の215安打を放ち、夏までブルージェイズの優勝争いに貢献した。

2004年は不振で始まり、怪我も重なって成績が落ちてしまった。それでも後半戦は健闘して23本塁打。また、初めてのゴールド・グラブ賞を獲得し、日米野球でも大爆発してMVP。

2005年、チームリーダーであり主砲のデルガドが抜けたことで、チームの顔に。ところがデルガドが抜けて厳しいマークにあい、成績は思ったほど伸びなかった。それでも28本塁打、97打点。それでも長打力不足にあえいだチームにとっては上出来で、また2年連続のゴールドグラブ賞を獲得。

2006年は、WBCに参加したのが良かったのか、スロースタート恒例の彼が開幕から絶好調。4月に9本塁打を放った。オールスターまでに20本塁打。そしてそのオールスターに先発出場を果たし、ソリアーノをホームで刺したことは記憶に新しい。
ところがスロースタートに陥らなかった代わりに、チームに歩調をあわせるように後半戦で失速。3割30本100打点は突破したものの、満足で行かなかったシーズンだったに違いない。それでも3年連続ゴールドグラブ賞を獲得。アンドリュー・ジョーンズ、トリー・ハンターと並んでメジャー最高のセンターと肩を並べた。

そして今オフに7年1億2600万ドルで契約を延長。バーノンには一生ブルージェイズでいてもらいたい。
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ブランドン・リーグ(Brandon League)
1983年3月16日 カリフォルニア州サクラメント出身

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シュート回転する速球は100マイルを計時することもある豪腕。
しかしいつも口をポカーンとあけていて童顔で、到底この選手が100マイルを投げるようには見えない。

リーグのプロ野球人生は2001年に2位指名を受けて始まる。
2003年までは先発で過ごし、2004年からはブルペンに転向。
9月にはメジャーに昇格し、3試合に投げた。

しかし、翌年は一発病と制球難に悩まされ、思った成績を残せず。
(平均被本塁打数は一試合に2本以上、一試合平均四球も5個前後)
結局、その年はメジャーでもAAA級のシラキュースでも大不振に陥り、不完全燃焼で終わった。100マイルの剛球を持っているだけに残念だった。

こうして2006年はシラキュースで開幕を迎えるが、開幕から好調で、なんと54回を投げ被本塁打数は0、防御率も2.14。
夏に一年ぶりにトロントへの昇格を果たした。

昇格した直後のマリナーズとの3連戦、明暗が分かれた。
一戦目は100マイルを計時し、見事におさえたが、2戦目はセクソン、エベレットに連続HRを浴び、同点にされてしまう。

しかし、ここからなんとHRを二ヶ月も浴びず、8試合連続無失点を記録するなど一気にB.J ライアン投手に次ぐ重要な中継ぎ投手になった。
特に最終月は14回を投げ、四球はわずか1つ。コントロールと一発病は確実に改善された。
奪三振率が少ないのが少々気がかりではあるが、07年以降も、シュートする剛球を持ち味に、当分の間ジェイズの勝ちパターンの方程式にはめ込まれるはず。

サングラスがトレードマーク。ハワイに住んでおり、1/8日本人の血が流れている。
DATE: CATEGORY:未分類
ライル・オーバーベイ(Lyle Overbay)
1977年1月28日 米国ワシントン州セントラリーア出身

Lyle Overbay


広角に安打、長打が打てる球界を代表するラインブライブ・ヒッター。

99年ダイアモンドバックスから18位指名を受け、入団。
99年、00年とAA級まで上り詰めて打率.340以上を打つと、01年AA級のエルパソでシーズンを過ごした後、メジャーに昇格。ヒット一つ、三振一つを記録。翌2002年も育成のためマイナー暮らし。しかしAAA級で.343。格の違いを見せつけ、この年にも9月に昇格、10打数1安打を記録した。

03年からはマーク・グレースの後を継ぐ逸材として、開幕をメジャーで迎える。しかしこの年は故障もあり、86試合しか出場できなかった。それでも打率は.276。翌年に期待がかかったが、03年オフ、リッチー・セクソンを巻き込んだトレードでブリュワーズに移籍。

ミルウォーキーに移ってから初めてのシーズンで、オーバーベイは前半戦首位打者を争う大活躍を見せ、才能が一気に開花した。後半戦に失速したものの、この年は.301をマーク。MLBに新たなアベレージ・ヒッターが登場した。05年は、.276に終わったものの、19本塁打とパワーが増加。

そして05年12月、1Bにプリンス・フィルダーを起用したかったブリュワーズはオーバーベイをブルージェイズにトレード。下位打線を強化できる素晴らしい打者を獲得した。

06年、オーバーベイは期待に違わぬ活躍を見せ、.312、22本塁打と自己最高のシーズンを送った。チームの調子に左右されず、4月以外は毎月3割の打率を誇った。開幕前はどっちかといえば長距離砲のグロースの方が注目度は高かったはずだが、シーズン終盤には相手の先発投手しだいで4番を打つまでになった。

そしてオフには日米野球で日本に来日し、僕も見に行った東京ドームで行われた第2戦ではオーバーベイらしいラインドライブの延長のホームラン。これで米の勝利を決定付けた。

そして、2010年まで契約を4年2800万ドルで延長。球界でもトップクラスに入るアベレージ・ヒッターを妥当な額でキープできた。

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